既に日本における漆器は、約6,000年前にさかのぼる事が判明しています。能登半島には、縄文期の漆器も出土しています。ただし、俗説的に能登半島の文化は、約1,000年前(奈良朝〜平安朝)に大陸人の渡米などによって開かれたとされており、輪島の漆器もまた、その頃が起源とも考えられています。正確なところは、考古学者達の活躍に期待する他ありません。が、歴史があることだけは、間違いの無いところです。

 室町期(約600年前)に至って、輪島に紀州根来寺から伝えられた漆技を取り入れたとの伝承があります。この時代に輪島独特の「塗り」を創始して以来、神具、仏具、或いは寺院用の膳、椀などの製作から次第に一般民需用漆器の製作に及ぶようになったようです。この過程で特筆すべき点は、他の有名漆器産地と違い、輪島は一貫して民需により支えられて発展しており、城下町経済的パトロンを持たなかったということです。

 寛文年間(1661〜73)に輪島地内に珪藻土の一種(黄土)が発見され、これを加工し「地の粉(じのこ)」と称して、下地漆(したじうるし)に調合使用することで堅牢な輪島漆器の製作に成功しました。これ以外にも様々な創意工夫を重ねることによって堅牢性に優れたものとなった輪島塗は、益々声価を高め、特産品として大きく発達しました。また、漆器の形状や意匠などに絶え間無い改善工夫が重ねられ、加飾技法として沈金技術の開発(1716〜1735)や蒔絵技術の導入(1818〜1829)などにより、輪島塗は華麗な文様に飾られるようになりました。

 現在輪島には、重要無形文化財保持者(人間国宝)、日展、伝統工芸展、現代工芸、その他の工芸美術展などの評議員・審査員の外、常連の漆芸作家が百数十名にも達しています。また、昭和52年には、この輪島塗の技術が国の重要無形文化財に指定されております。かくして輪島塗は、他に比類のない堅牢性に於て、更に美術工芸品として日本一の漆器(=ジャパン)と称されるようになりました。




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